2015年12月21日

わりとマジな落書

人類の殆どが時間遡行できるようになる→できない人間がマイノリティに→可逆者(リヴァーシブルとか呼ばれるが、マジョリティになることで死語になる)はリスクを考えずに行動できるのでアグレッシヴに、逆に不可逆者(対してイリヴァーシブルなどと、こちらが定着する)は消極的になり、次第に障がい者として(優しく)差別される→就職や結婚でも不利になり不可逆者でありながら(やり直せないのに)可逆者かのように敢えてリスキーに振る舞う「隠れイリヴァーシブル」が現れる

・時間遡行の原理は不明。強い「後悔」がトリガーだが、慣れてくると割と簡単に可能。ただし余りに遡行時間が短かったり長かったりするとダメ。
・遡行した本人は記憶や意識を持って遡行できるが、他の人間からは遡行は観察できない。
・もちろん多世界解釈。遡行した後も(分岐した状態で)遡行者はそれまで通り他の観察者の世界に存在する。
・可逆か不可逆かは完全に先天的。遺伝条件なども不明。不可逆者は人口の8%くらい。
・可逆者は未来の経験を持っているので、基本的に行動が合理的。その学習経験に加え失敗を怖れないので、割と理想的な人格をなりやすい。故に社会全体も歪みが少ない。
・対して不可逆者はそもそも劣等感が強いうえ、失敗や過誤を(可逆者からすれば)異常に怖れるので、もはや社会不適格者の一種として扱われている。不可逆者による犯罪率や自殺率も当然高い。
・不可逆者の「不可」が差別的だということで、「前進者(フォワード)」など様々な別称が考えられているが定着しない。


主人公は「隠れイリヴァーシブル」の少年。中学か高校。憧れの女子(わりと拗らせている)の「イリヴァーシブルかっこいい」発言に動揺する、イニシエーションもの。





posted by 淺越岳人 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

あの新聞紙曇り空割って

中学の時だったか、ある時期に紙飛行機が流行した。主に休み時間外で遊ばないインドア派の内で、だが。
多分その流行は、『あの紙飛行機曇り空割って』の影響じゃないかと記憶している。この長いタイトルからして記憶には不安があるが。
さすがにテストで作る奴はいなかったと思うが、プリントを折って誰が一番飛距離の出る紙飛行機を作れるか、競われていた。
スポーツ以外のすべての競争で、負けず嫌いに熱くなる文科系戦闘民族だった俺は、早速図書館で紙飛行機に関係する本を読み漁り、よく飛ぶ紙質や折り方、流体力学的に理想的な構造を研究した。一人で。
そして実戦。
まわりが理論も何もなく何度も折り直してヨレヨレになった紙を適当に折って力任せに、紙飛行機を「飛ばす」というより「放り投げて」いる級友の姿を横目に「愚かな」と心の中でだけ言って、何気ない風を装いその実自信満々に、研究を重ね左右のバランスと重心位置に拘った傑作紙飛行機「Tホーク1号」を飛ばす。
あくまで軽く持ち、手首の力で柔らかく水平にリリースする。
「Tホーク1号」はバランスを崩すことなく、美しい軌道を描いて飛ぶ。決して飛ぶスピードは速くないが、ふんわりと空気に乗って、優雅に飛んでいる。徐々に高度は下がるも、既にその場の誰の紙飛行機よりも距離を飛んでいる。
ギャーギャー騒ぎながら紙飛行機とも言えない何かを投げていた奴らが「おおっ」という歓声を上げる。
歓喜。しかし嚙み殺して余裕の振り。これぞ理論の力だ。
1号はそのまま静かにランディング。「これ折った奴誰だ?」「作り方教えて」となる、筈だった。
そこに通りかかった野球部の、名前は知らないが足が速くて背の高いつまり苦手なタイプの奴が、紙を手に俺の横に立った。
その紙はあろうことか大きな新聞紙で、紙飛行機にはまったく向かない薄くて弱いものである。
やはりこいつはアホだ。
まるで相手にならない、と安堵したのも束の間、なんと野球部は紙を両手でクシャクシャに丸めた。そして強く握って、ガチガチに固めた。
そして、これは後に知るのだが既にある高校からお呼びがかかっている強肩ピッチャーだったそいつは、力一杯その紙玉を投げた。
ビュッと空気を裂いて、新聞紙の玉は俺の紙飛行機の頭上を簡単に飛び越え、遥か彼方に飛んで行った。
それだけ済ますと、茫然とする俺と俺たちを尻目に、野球部は立ち去った。

それ以来、俺の学年で紙飛行機を折るものは誰もいなかった。


posted by 淺越岳人 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月16日

〈落書き〉『テロルのデッサン』

「そもそもだ」
ヤマグチが呟いた。いやヤマグチがわざわざ口を開いた、てことはそれはどうしても伝えたいことがあってのことだ。だから「呟いた」て表現はおかしいのだけど、それは音量といい音圧といいそうとしか言い表せない声だったのだ。
だけど、そのか細い声に場が静まる。
「最初からこちらの意見を聞く気がない相手に、『気持』でなにかが伝わるのか?」
一瞬、その水を差すような「否定」に対して誰かが反論しようとしたけど、それは空気だけで未遂に終わった。ヤマグチの物静かな圧力、それがおれたちの、子供っぽい議論を凍りつかせている。
ヤマグチは続ける。
「教員側がおれたちの反対なんて聞くわけないでしょ。修業式直前なんて、こんな明らかに反発食らうようなタイミングで発表するんだ。感情的な反論なんて想定内。」
この「感情的な反論」てところでヤマグチが、三谷ほか何名かの、熱い意見を言っているようでその実ヒステリックに泣き喚いていただけの女子のグループを視線に捉えたのをおれは見逃さなかった。
「そんな反対なんて全く気にしてない。学年切り替わりまで待てばそんなの自然と沈静化すると思ってる。まあ実際にそうなるだろうし」
ここでさすがに何人かが声を上げた。「そんなことない」だの「許せない」だの意見未満のものでしかなかったが。
「まあそうならそうでいいけど」
ヤマグチはいつも通りの嘲笑を浮かべ、その声を躱した。
確かに、実際にクラスが変わっても、決して人数が多くないウチの中学だ、新学年だって3クラスしかない。クラス替えをしたところでクラスの3分の1は今と同じメンバーなわけだ。それに、今だって部活やら塾やらでクラス以外の関係だってあるわけで、考えてみればなぜおれたちはこんなにも「クラス替え」ということに反対しているのだろう。
やはり、この時期に「突然」「理由も言わず」という点で受け容れられないだけなのか。だとしたら、ヤマグチの言うようにそれは「感情的な」反対でしかない。
そんな不条理で曖昧なもので、物事が変わるなんて、到底思えない。そこに理屈があったとしても、変えられないものがいっぱいなのに。
「ていうかさ」
ヤマグチの言葉がおれを、どんどん「現実」に引き込む。
「そもそも相手は教員で学校。だから生徒に対しての諸々の裁量権は向こうが持っている。生徒がどれだけ筋道立てて反対しても、『教育的指導』という名のもとに潰せる権利を持っている。そんな最初からアンフェアな相手に対し、『訴える』だの『気持を伝える』なんてことに意味なんてないでしょ。それは大人を舐めてるよ。」
やめてくれ。さっきまでなにかが動き出そうとしていたのに。おれは、おれたちは、もう少しでそれに酔えるところだったのに。
あまりにもこの場が、この場の変化が残酷過ぎて、息苦しくなったおれは思わず助けを求めたんだ。
「どうすればいい?」
ヤマグチと眼があったのは、たぶんこれが初めてだと思う。
「テロ、しかない。」

posted by 淺越岳人 at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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